乾いた風が微かに吹いていた。私は森の中、空を見上げながら目を細めている。
いつも通りの森の中。静かではあった。
いつも通りの空。何年も見ている、同じ空。飽きる事はない。これだけならば気分の良い夜だった。
あとは、私に粘りつく、この殺気をなんとかできれば良いのだが。
決定的にいつもと違う事。それは、私が危険にさらされているという事だった。
敵意を持った多くの人間に包囲されている。すでに逃げ場は無い。
生き延びる可能性があるとすれば、戦って勝つしかなかった。勝つ事は、不可能ではないと思っている。どんな状況でも。
相手の出方次第では、こちらの取る行動も大きく変わる。が、基本的には、その先を読んで行動する事で、どうとでもなる場合が多い。
しかし、今回は私の情報は連中には知られている。作戦的な事を言えば、何も無い、ほとんど丸裸状態だった。
私の事を知っている人間が相手。加えて、それなりの作戦をあらかじめ練ってきている。勝てる可能性は限りなく無いに等しいと言える。薄氷程の勝利への道でもあれば上出来だろう。状況が悪すぎだ。
先ほどよりも少しだけ強い風が吹き、草木がそよいだ。
普段なら心地良いのだが、今は、やかましい。
連中の狙いは、この私。そして、私の後ろで青い葉をゆんゆんと繁らせ、気高く立っている大きな樹。
私は目線を森の中へと向けた。
「喧嘩するつもりなら早くこい」
相手の人数は分からない。私は、闇に向かって話しかけた。そこにいるであろう人間達に向かって。きっと場の雰囲気に相応しくない、高く、細い声だったろう。辺りに響く私の声は、小学生のそれだった。さらに言えば、小学校低学年ぐらい。ついでに言うなら、声どころか容姿までも小学生。顔は、ちんまりとして、ちょっと丸い。手はりんごを持つのも不便なほど小さいし、胸やおしりだって、そこだけで区別しろと言われたら小さな男の子と性別の見分けがつかないだろう。
こんな少女を本気で潰しに来ている連中は、どれだけ大人気ないのだろう。
……と、相手が本気なのは仕方の無い事だ。生半可な事では、返り討ちにされる。それは相手も知っている。
また少し風が吹く。
私は、風流も情のやり取りもない連中に半ば呆れつつ、正直、自分の最後を覚悟していた。
それでも、相手の出方を窺うと同時に、攻撃のきっかけになりそうな何かを待つ。腰の近くまである長い髪の先を、指先でくるくると回しながら。
もちろん私に有利になるようなきっかけなど、相手は与えてはくれない。ビリビリと殺気だけは感じるが、相手がどのような作戦でこちらを狙っているのかは全く分からない。
牽制の為にも、こちらから動きたいところではあるのだが、私の傍には護るものがある。「護るものがあると強くなる」なんて、物語を盛り上げる為の煽りは嘘だ。こんなもの、ただの足手まとい。現に私がこの場から離れられなくて戦略の幅を大きく狭めているじゃないか。その状況すらも利用できる頭は私には無い。つまり、完全にお荷物。
それでも絶対に護らねばならない。
その時、左の方から何か重いものが落ちたような音がした。
「!」
私は身構えた。
落ちた、と言うよりも、何か野球ボール程度の大きさの玉が投げられたのだと、すぐに気がついた。音から察するに、野球ボールよりは重い感じがした。その瞬間、カッと閃光が走る。どうやら、投げられた玉は、目くらましの為の閃光を放つものだったらしい。
私はすぐに目を瞑り、落ち着いて周囲の異質な音を聞き分けようとした。
閃光の後に、間髪入れず銃声が鳴る。弾が私の髪をかすめた。髪が揺れた感触と、銃声の鳴った僅かなタイムラグを考えると、撃たれた位置は、あまり遠くない。殆ど銃声が鳴ったと同時に弾は飛んで来た。
二発目の銃声が轟く。それと同時に……いや、それよりも速く、私はその場でくるりと回転しつつ、半歩ほど横に移動した。直後に何箇所か、ばらばらに銃声が聞こえた。が、同じように弾をかわす。言うのは簡単だが、回転しながら弾を回避し、その間、正確に音のする方向を掴まなければならない。思いのほか神経をすり減らす。
傍から見れば、静かに踊っているように見えるだろう。暗くて弾は見えないが、私のその動きは銃弾を全て紙一重でかわしていた。初弾を回避するのはある程度運だが、次弾は音の鳴った方向を正面として見れば回避しやすい。
音が鳴り止む。銃声は同時に五箇所から聞こえてきた。最低でも五人、敵がいる。同士討ちは避けているだろうから、この瞬間だけは銃が撃たれた正面に敵は居ないという事も分かった。
少しでも情報は集めなければならない。
耳を澄ますと、ざわめきのようなものが聞こえてくる。私の体捌きを見て連中が驚いているのか。
そう思ったのもつかの間。耳を裂くような不快な音が聞こえてくる。
「……っ!」
鼓膜がどうにかなりそうだった。甲高い、何かの叫び声のような騒音だった。
思わず耳を塞ぐ。何の音なのかは分からない。私の視覚と聴覚を使えなくするのが敵の目的か。しかし、目は少し慣れてきた。薄目を開け、状況を確認する。
そのとき、長い銛のようなものが私の右上方から、ほとんど音も無く飛んできた。いや、音は耳が先ほどの音でやられていて聞こえなかっただけだろう。
目が完全ではないせいで遠近感がつかめない上に、反応もかなり遅れた。私は、相手のメインの攻撃であろうそれをかわす事ができずに胸への貫通を許した。
「か……はっ…………」
しまった、と思ったときにはもう遅い。出そうと思った声の代わりに、口からは血が噴出してきた。
銛のようなものは、私を貫いたまま、地面に刺さる。私は、百舌鳥の速贄のような格好で動きを止められた。
手を伸ばして力を入れようとしたが、手に力が入らない。
『命中、確認しました』
『了解。動けないうちに任務を遂行せよ』
瞼が重くなってくる。視力すら無くなっていくような感覚に襲われた。
私の横を、特殊な服で武装した連中が、堂々と通って行く。大きな黒いヘルメットが特徴的だった。
「ま……」
まて。と、そう言いたかった。しかし声が出てこない。力を出そうにも、集中力がないこの状態ではそれも叶わなかった。
無力だった。
私は何もできないでここにいる。
走馬灯というワケではないのだろうが、ここまでに至った経緯を思い出した。
アイツが原因だ。
それだけは間違いない。
『準備完了しました』
トランシーバーのようなもので報告をしているようだった。気がつけば、周りには何人かの同じ格好をした人間が集まってきている。
『よし。実行に移せ』
『了解』
どうやら、私は護れなかったらしい。
意識が途切れかかった。ぐっと目を閉じ、腹に力を入れ、なんとか意識を保つ。
「っ……! はぁ……!」
痛みで思わず吐息が漏れる。
目を開けると、景色が燃えていた。
樹が……燃えていく。私の樹が。
一人の男が私に近づいてきた。ヘルメットは被っているが、他の連中に指示を出していた人間だ。声で男だという事は分かった。男は、顔を私の目線に合わせるように、少し屈む。
「別に恨みがあるわけじゃないけどな。すまない」
私は、相手を睨みつけようとしたが、眼に力が入らない。
「悪く思うな、と言う方が無理か……」
きっと、男は哀れな動物を見るような目で私を見ていたことだろう。相手の目は見えないがそんな雰囲気は伝わってきた。そして男は立ち上がり、周りの人間に命令した。
『鎮火作業を開始せよ』
火の手が周囲の木々に移るのは相手側としても良くないのだろう。ご丁寧に、ある程度周囲の樹を切り倒した後、水を撒いてから作業を開始したようだった。鎮火された後は綺麗に一本だけ樹が燃やされていた。
「任務完了だ」
「少女は?」
「このままにしろとの命令だ」
「死んでもかまわない、という事か」
尋ねられた男の口が、一瞬止まる。少しため息をついたようだった。
「上の判断だ。俺たちが考える事じゃない」
そんな会話を、風の音混じりに聞いた。
「しかし、後味の悪い任務だ」
都合主義の人間たち。自ら手にかけておいて、何をしゃあしゃあと。自分達の都合で、勝手に私から樹を奪った。
ふと、ようやく言葉を発せる程度には落ち着いている事に気が付く。回復力の速さは私の特徴の一つなのだが、相変わらず体はほとんど動かない。が、私は意地で男達の方へ震える手を伸ばし
「しゅうちゃんのき……返せ……」
そう言った。
その言葉には、何の力も無かった。